Diablo Organicsが入荷いたしました!!!
¥25,800-
写真:右がオーナーのジミーブッダ!!気さくで終始笑っていました。
各国を旅して、伝統や文化をジュエリー制作に取り入れています。
テキサス、オースティンに本拠地に構えるディアブロオーガニックス。
ハンドメイドジュエリーは職人さんが丹念に磨いています。
BLESSINGS TO YOU JEWELRYのブースへ行ってきました!!
Ear Weights系は重さでこんな感じにぶら下がります。
Jaruar Head Weights
6ゲージ
素材 : アンティーク ブロンズ 90% + カッパー 10%
重さ : 40g
¥19,800-
APPには多くのジュエラーがブースを設けてあります。
各スタジオのオーナー、ピアッサーは駆け巡ります。
マヤジュエリーのブースになります。
いくつかオーダーしてきました。来月には入荷する予定です。
緊張感を楽しめました。
皆から愛されるコーリーの元にはたくさんの人が集まります。
マヤジュエリーのパワーに圧倒されました。
一緒に仕事できる喜びを感じることができました。
本当にありがとう!
これからもよろしくね♡
前職が政治関係のお仕事をされていたと聞いてビックリしました!!
さぁ、そして買い付けてきたものを今夜は少しだけご紹介しましょう。
素材は925Silverになります。
太さは18ゲージ。大きさは35ミリぐらいです。
※今、手元に資料がないので大雑把で申し訳ないです。
耳たぶのピアスホールに簡単には入ります。
¥16,500-
太さは18ゲージ。大きさは33,3ミリ× 33,3ミリになります。
925Silver ¥11,000-
22K YG Plated ¥9,800-
ただいま絶賛時差ボケ中!!今年もきてしまいました…
まぁ旅してる感を楽しめるのでそれはそれで好きなんですけどね。
昨夜ご紹介したジムワードさんは、痛みを越えると快感として身体的満足を得る方でした。
対してファキールさんは、ボディピアッシングで精神的満足を求める方でした。
アフリカの部族に憧れて、ボディピアシングを儀式として行っていました。
古代の芸術を身体装飾として楽しむように。
1958年 初めてニップルにピアッシング。
1975年 ニップルを拡張。
セプタムをダーマルパンチした話など…
ファキールさんはボディピアスを世代別に説明してくれました。
1970〜1980年代が第一世代。ボディピアスというものを世に知らしめた時代だったという。
ロサンゼルスにガントレットができて、手探りで始めたものを少しずつ形にしていく
パイオニア達の功績。
1980〜1990年代が第二世代。ピアッサーが次々に現れ、ピアススタジオが各地に出来始める。
その中の一人、エリックダコタのユニークなピアッシングが話題を呼ぶ!!
ロックやダイス、インダストリアルなどテクニカルな彼の仕事は圧巻だったと言う。
この時代は多くのミュージシャンにも受け入れ始め、ボディピアスの成長期を迎える。
1990〜2000年代が第三世代。ボディジュエリーメーカーの躍進。
Dakota Steel、Body Circle、Good Art、Anatometal、Industrial Strengthなど。
ステンレス、チタンなどの素材の安全性が確立される。
2000〜2010年代が第四世代。この時代を一言で言うと、見た目だと彼は言う。
ファッションとしてに人々に愛され定着されたボディピアス、ボディジュエリー。
そして今、第五世代にあると言う。さらに進化し続けていくボディピアス。
受講後、ファキールさんの奥様の発案で、50人ぐらいで手を繋ぎ輪になりました。
とても神聖なものを感じることができました。
こんばんは。昨夜アメリカから無事に帰ってきました。
あっという間の二週間でした!
ボディピアスを通じてたくさんの方々と出会い、とても楽しい時間を過ごすことができました。
最初の目的地はラスベガス。
今年で20回目を迎えたAPP。いくつかのクラスを受講してきました。
特に思いがつまったのがジムワードさんのお話だったので、ここで紹介したいと思います。
1970年代後半から、現代のピアッシング文化の礎を築き上げたガントレットの創始者。
ゲイであり、SM愛好者。
まだまだ、ピアスやタトゥ、SM、同性愛者などのマイノリティに対する差別や偏見が根強い中、
純粋にピアスのエロティシズムを求めて、ワインのコルクとピンで耳に穴を開けることから
スタート。
ニューヨークでジュエリーの作り方を学びながら、バイクとSMコミュニティに所属。
ある時、SMクラブで乳首にピアスをしている男性を見て、乳首にピアスを開けることに
憧れを覚え、自力で穴を開けたものの、あまりうまく開けることができなかった。
バイクのコミュニティにも所属していたJimは、
ハリウッドの同じくバイクコミュニティにいる友達を通して、資産家のDoug Malloyと知り合い、
乳首にどうやったら上手にピアスを開けることができるか相談。
当時のジュエリーは高すぎたため、ジュエリーの作り方を学んでいたジムワードさんは、
自分で乳首用のジュエリーを作ることを思いつき、Dougはそれをビジネスにしたらどうかと提案。費用面と、またさまざまなピアスに詳しかったDougの助けを受けながら、
まだまだ前例のない分野で、手探りながらもピアスビジネスをスタート。
試行錯誤しながら、どの形状の道具が一番キレイに安全にピアスの穴を開けることができるかなどの開発をしていく。みんなに安全にピアスを開けてもらうため、自分の経験と知識を元に、Piercing Fans International Quarterly (PFIQ)を発行。
小さなスタジオからスタートしたのが、ゲイやバイク、フェティッシュのコミュニティから支持を受け、3年後の1978年にGauntletをオープン。
ボディピアスの公式カラーの紫を広めたのもジムワードさん。
ゲイのコミュニティでは、ハンカチをズボンの後ろポケットの右左どちらに入れるか、
また色で、自分が性的活動でどういった分野に興味があるか、メッセージを送り合っていた。
例えば、ズボンの左に入れてる場合はS、右に入れている場合はM。色が黒なら、SM好きなど。
その中で、ピアス好きというのを表すカラーがなかったため、紫をピアスのカラーとして選び広めていった。
一生の思い出になりました。